あんなに投票したかったのに、誰に投票していいかまったくわからない件について。

1月に20歳を迎え、投票権を得た。

僕自身は、18歳選挙権への引き下げや、若者の参加を促す活動をしている大学生だ。一般的な若者に比べたら政治に興味がある変な若者であるという自信だけはある。

そんな僕は20歳になるまで、投票権がほしくてほしくて仕方なかった。なんでこんなにみんな投票に行かないのか、社会に対して違和感さえ抱いていた。

しかし、2月1日に控える市の議会議員選挙まであと一週間となり、候補者もやっと腰をいれて選挙活動をし始めた今日。

だれに投票していいのか、まったくわからないのだ。

なんだ、まだ一週間あるじゃないか

そんな風に思う方もいるかとは思うが、静岡市にある学校に行って、週末は市外で過ごす予定がある僕は、候補者のことを知ることができる機会がほとんど、というか何も残されていないのだ。

そんな僕の嘆きをたまたま親戚のおじさんに話してみた。

「そうだよ。こんな短い期間で全部の候補者のことなんかわかるわけないじゃん。だから、テキトーに入れるか、投票に行かないかどっちかしかないでしょ」

あ。そっか。納得だな。

何でこんなに低投票率なんだ。正しい選択をするのは市民だろ。

そんな風に語っていた自分が、いざ投票権を持ったら、自分が違和感を抱いていた社会の状況にどこか納得してしまう。

「市民」と「政治家」という本来、本人・代理人関係(プリンシパル・エージェント関係)になければならない2者の関係が崩壊していることは、市民の利益に反することを行う政治家を選択してしまうこと(エージェンシー・スラック問題)も引き起こしかねない。

既存の選挙制度はおそらく(というかほとんど)このまま変わらないことは明らかであるから、私たちが政治家を選ぶときに、どんなに興味がなくても責任を持って選択しなければいけない。

政治家は私たちの代理人なのだ。

しかし、そうはいっても一般的に見れば政治に関心が高いであろう僕でさえ、候補者を見て誰が誰だかわからないのだから(別に自分のことを特別と言っているわけではない、むしろ変人だとここでは言いたいのだ)、政治が難しいというほとんどの層は、余計に情報が入ってこないし、誰を選んでいいのかなんてわからないのだろう。

これに対して、何か改善をしなければいけないと僕自身は考えている。このままじゃダメに決まっている。そしてそれは、政治家が考えるのではなく、本人・代理人の関係を結ぶ両者の対話によって考えられるほうがいい。なぜなら、その責任は市民の側にもあるのだ。

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