僕は投票に行きたくないという人に、投票に行けとは言えない。

いろんな意味で違和感のある選挙の前なので、自分の立場を改めて明確にするためにひとこと。(だけど、これを書くのはものすごく怖い)
 

明日はもちろん投票には行く。

 
でも、投票に行きたくないという人に投票に行けとは絶対に言えない。
 
選挙を通して、自分たちの代表を選ぶことは大事と思う。現実的に全国民が集まって、あらゆるテーマについて毎度議論するのは無理。だから選挙が無駄だとは言わない。
 
しかし、それはアクティブな市民(シティズン)が、政治家を常に監視しているからこそ成り立つ仕組みであるはず。
 
要するに、政治家を選ぶ(投票)以外のあらゆる場面で、絶えず市民が民主主義を持続可能なものにするために努力している社会でなければ、間接的な民主主義が機能するわけがない。
 
今の社会は努力どころか、市民が消費者になっている。
あらゆることが、政治家任せ、行政任せ、人任せ。
スーパーでの買い物と、政治は異なる。
 
「投票に行け」と大人たちは言うけど、僕は「投票に行った方がいい」とは高校生や後輩たちに一度も言えなかった。
 
むしろ自分の足元の、目の前にあることに参加する方が大事だと言ってきた。
そこが何もないのに投票に行こうと思うわけがない。

参加がない日本

 
今の社会の低投票率は、この直接的な参加の欠如による隙間が大きな原因ではないだろうか。
 
例えば、学校で習う「社会」は自分たちとは全くかけ離れた国の仕組みの話ばかりである。国がどう動いているとか、学ぶのが無駄とは言わないが、どれだけの生徒がそれを自分ごととして考えることができるだろうか。
 
最近はじまった主権者教育も、主として模擬選挙。先進的とされる取り組みでさえも、国政レベルの政治的テーマを扱っていることが多い。
 
普段、高校生たちが生活していての関心事は、自転車で走っていて道路がでこぼこするとか、公園のゴミが増えたとか、街灯がなくて暗くて怖い・危ないとか、そういうことだ。
 
もしくは、担任の先生が怖いとか、給食がまずいとか、部活の顧問のやり方が気に食わないとか、修学旅行の行き先はどことか、学校という社会の方がよりリアルで、重要なテーマだ。
 
自分の身近な社会への参加の積み重ねが、間接的な民主制(投票)に結びつく。ステップ・バイ・ステップで、投票に結びつくはずだ、
 
その直接的な参加がない今の日本で、投票に行きたくない、行く必要がないと思う人がいるのは仕方ないことだ。むしろその方が自然かもしれない。
 
だから、僕は「投票に行った方がいいよ」とは胸を張って言うことはできない。
でも、投票には行った方がいいとは思っている。だから、僕は投票には行く。
 
いつか胸をはって、「投票に行こう」と言えるように、もしくはそんなこと言わなくてもいいように、目の前の参加をひとつひとつ積み重ねていく。
 
そんな決意を18歳選挙権が実現してはじめての選挙を前にしておこうと思う。