「高校生なのにすごいね」は差別だから絶対にやめたほうがいい。

「高校生なのにすごいね」は差別。

若い人が色々なまちづくり活動に取り組んでいると「若いのにすごいね」「若いのにしっかりして偉いね」と大人たちが言っているのをよく目にします。

そして、こんな言葉を投げかけられた若者たちのいつも違和感を抱えていると思います。

僕はこいう発言は若者差別だと思うんです。

だって、年齢に関係なく何をしようとその子の勝手じゃないですか。

なぜ若者のまちづくり参加は特別なのか。

子どもでも、若者でも、大人でも、同じまちに住む市民であって、まちをより良くする権利は誰もが持っています。だけど、高校生が参加して何かやっていると特別扱いされます。

確かに若い人がまちづくりに参加するのは珍しいことなのかもしれないです。

でも、そうした言葉の背景には、「まちづくりは大人がすることなのに君たちは若い時からやっていて偉いね」「普通の高校生は勉強しているのに君は学校外に出てこういう活動をしてすごいね」という若者をひとりの市民として排除する発言とも受け止められます。

言っている大人たちのほとんどは悪気なく発言しているのは知っていますし、純粋に「すごいね」って思って言っているのもわかります。でも、もしそれを言われる側の立場だったらどんな風に思うか考えてほしいと思います。

活動に取り組んでいる高校生のほとんどの活動動機は、単純にやりたいからです。

それがたまたまサッカーじゃなくて、バスケじゃなくて、テニスじゃなくて、吹奏楽じゃなくて、まちづくりだったってだけです。何も特別なことはしていないんです。やりたいからやっていて、楽しいからやっているんです。

高校生を使いものにするまちづくりという流行。

ここ数年で、高校生をまちづくりに参加させようと、全国各地で様々な実践がされています。高校生がまちづくりをしていると、目を引きますし、メディアはすぐ取り上げて話題にします。(私たちの団体も人のことは言えませんが、、、)

つまり、高校生をはじめとする若者のまちづくり参加は社会の中で特別なことになっています。

まちづくりに取り組む大人たちと同じように、自分たちが住むまちをより良くしようと活動しているだけなのに、なんで特別扱いされないといけないんでしょう。そうした問題意識は過去に「中高生を使いものにするまちづくりが流行りなの?」に詳しく書きました。

そして、これが悪化すると、まちづくり活動に取り組んでいる高校生自身が「自分たちは特別なんだ」と思ってきます。「自分っておかしいのかな」って悩む子もいるかもしれないですし、「自分は特別だから他の高校生の意識も高めてやろう」というちょっとこじらせた子も出てきます。

まちづくりへの参加は権利。

前述しましたが、子どもでも、若者でも、大人でも、同じまちに住む市民であって、まちをより良くする権利は誰もが持っています。これは権利なんです。

今まで、その権利が軽視されていた。まちづくり主体=政治的主体として考えられてこなかった。だから、若者のまちづくり参加の機会は開かれるべきだと思いますし、僕はそういう思いで活動をしています。

しかし、最近の若者のまちづくり参加の動きは、大人たちがしたいことに若者を利用しているように思えてなりません。

メディア映えしそうなところで若者を使い、「うちのまちでは高校生もまちづくり参加してますよ」とPRする。よくある「商店街活性に若者を活用しよう」的な動きにもつ違和感は、そういった使い物感が強いと思います。

そうしたところほど、本質的な問題になると若者を遠ざけます。例えば、総合計画などの行政計画をつくる会議の委員に高校生がいるのはほとんど見たことがありませんし、いたとしても「高校生がいる」という事実だけのお飾り参加になっていることがほとんどです。

他にも、若者に提言させる取り組みをする自治体も増えていますよね。そしてそのほとんどが、提言して「良い提言をありがとう」でおわり。すべての提言に対しての返答義務をつけたいくらいです。

本来は、世代や性別、立場にかかわらず、すべての人は対等なんです。「若いから…」とか、逆に「大人だから…」「高齢だから…」っていうのはないはずなんです。

高校生たちにとっては、従来の部活動で選べるスポーツや文化的な活動だけでなく、まちづくりなどの社会活動が特別なものではなく、横並びになって、高校生のまちづくり参加は当たり前になればいいなと思います。

自戒の念も込めて。

加筆(2016/2/18)

この記事を読んでくれたとある地域活動に関わる高校生の女の子が共感するとメッセージをくれて、ちょっとやりとりをしました。

「あなたはなんで違和感を持つと思う?」って聞いてみたら下のような回答をくれました。

なぜか、って考えたことなかったです。なので、今考えたことになってしまいますが、、、
誉められること自体は嬉しいのですが、“高校生だから“すごいんであって、ただの私の能力?を評価してもらってるのではない気がしてしまいます。僻んだ考えなのかもしれませんが、それが違和感の原因なのかなと思います。
例え高校生(若者)であっても参加するだけでは意味がないと思うんです。でも、参加していることを誉められることがあります。私は対話の場などに参加するようになって、そこで自分の何を発揮して、何を学ぶかが大切なんだと学びました。それは誰でも同じはずなのに、若者は参加するだけで誉められる。それは何か違うんじゃないか、と思ってしまいます。

若者であるということだけに価値をおかれているみたいで嫌な気持ちになるんだなと思いました。「差別」という表現が良いか悪いかは別として、それが違和感の原因だと思います。

僕自身すごい腹落ちしたので加筆しました。メッセージありがとう。

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