「18歳選挙権」と「主権者教育」と「地方創生」について考えてみる

18歳以上に選挙権を与える改正公職選挙法が今年の6月に成立した。私が所属しているNPO法人Rightsが15年以上前から18歳選挙権の実現を求めて活動していたことを考えると、法案の成立はとても感慨深く、そんな団体で活動できていることを誇りに思う。

18歳選挙権が実現したことで、18歳、19歳の新たな有権者が増えることになる。早ければ次の参院選で改正後初めての選挙も行われる予定だ。私は素直にこの法案の成立を喜んでいるが、18歳、19歳の若者に判断能力があるのかというような批判の声もある。しかし、実現してしまったことに文句をつけても仕方がない。私たちはこの成立を素直に受け止めていかなければいけない。

そんな中、教育の現場には大きな変化が起きようとしている。高校生の主権者意識を育てる「主権者教育」の充実が求められているのだ。(18歳選挙権が実現したから、主権者教育をしようという流れには疑問を感じるが、ここではその議論は止めておく)これに合わせて、慌ただしく模擬選挙などをしようと準備をはじめる学校も増えている。しかしながら、ただでさえ忙しいと言われる日本の教員に、新しく「主権者教育」を求めるのだから、現場の動揺は隠せない。

※このブログでは、主権者教育という言葉を使うが、シティズンシップ教育や、政治教育、市民性教育という言葉で使われることもある。

さらに難しいのは、その教育では政治的中立性を保つ必要があるのだ。政治的中立性については、18歳選挙権の実現後から言われ始めたことではなく、以前から教育基本法に以下のように定められている。

「法律に定める学校は,特定の政党を支持し,又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」(教育基本法 第14条 第2項)

中立的な政治をするということは、当たり前のこととも思うが、どこまでが中立で、どこまでが中立でないかという判断軸がない中、実際に現実社会で争点となっている話題(例えば、安保法案のこと、原発のことなど)について触れることは非常に難しい。こういう意見もある、ああいう意見もあるといったように、意見の多様さについて生徒に伝えることができればよいが、教員の価値観のもとに意見が発せられると、教員の側は中立的に発言しているつもりでも、受け取る側の生徒は中立でないように感じる可能性もある。教員も教員である以前に、ひとつの価値観を持った個人であることを忘れてはいけない。

さて、ここまで主に学校を取り巻く、18歳選挙権の議論を整理してきた。ここから私自身の問題意識に触れていきたいと思う。それは「主権者」を学校だけで育てていこうとすることについてだ。その内容に深く踏み込む前に、ここまで多用している「主権者」という言葉について整理をしたい。

「主権者」とは一体何であるのだろうか。辞書で引いてみると、ほとんどの辞書では「国家の主権を有するもの」とある。では、次に「主権者教育」とは何であるか気になる。まだまだ定義が明確になっていない中ではあるが、総務省のホームページで紹介されているものを引用すると、以下の通りである。

社会の構成員としての市民が備えるべき市民性を育成するために行われる教育であり、集団への所属意識、権利の享受や責任・義務の履行、公的な事柄への関心や関与などを開発し、社会参加に必要な知識、技能、価値観を習得させる教育である。その中心をなすのは、市民と政治との関わりであり、本研究会は、それを「主権者教育」と呼ぶことにする。(「常時啓発事業のあり方等研究会」最終報告書)

この文を私なりの解釈にして噛み砕いてみると、「主権者教育」とは、社会の一員であるという意識を育むことである。ここで上述したことに戻ってみると、やはり学校の中でその意識を育んでいくことには限界があるように感じる。それは、学校という狭い閉じられた社会で、(広い)社会の一員であるという意識を育もうとしても、(学校を構成するひとりであるという意識は育てられても)社会の一員という意識は育むことができないと思うからだ。そのためには、社会と触れる機会が必ず必要になる。

先進的に「主権者教育(シティズンシップ教育)」に取り組んでいるとされるイギリスでは、1998年にはバーナード・クリックを議長とし、”Education for citizenship and the teaching of democracy in schools”(通称:クリックレポート)がまとめられた。(2007年にはアジュクボレポートとして更新されている)

クリックレポートの中では、「主権者教育」の構成要素として①社会的・道徳的責任 ②地域社会への参加 ③政治的リテラシーが挙げられている。

ここで注目したいのは、2つ目の「地域社会への参加」である。学校の外へ出て地域に参加することが、イギリスの教育の中では求められている。この視点は日本に明らかに欠けている。現状のままではほとんどの学校での「主権者教育」は、学校内で完結するものになるであろう。

さらに言えば、日本の主権者教育のほとんどが投票教育になっている点は押さえておかなければいけない。(模擬選挙などを否定するわけではなく、それだけでは限界があるのではないかということである)

「投票」というのは民主主義における手段のひとつに過ぎない。本物の「主権者」を育てるために今何が必要なのか。それは投票にいくだけの主権者を育てることなのか?どういう教育をするのかということの前に、どんな「主権者」を育てるのかという点について深く議論する必要性を感じる。

そしてその議論を進めていく中で、人口減少が進み、地域の担い手がどんどんいなくなっている日本(とりわけ地方)にとって、「地域社会への参加」という視点は外すことができない。(もちろん、人口減少が進んでいるから地域への参加が必要なわけではない)

地方創生を叫ぶ現在だからこそ、地域の未来を担う人材を地域で育てていくことが重要である。私たちがいま育てていかなければいけない「主権者」は、地域を守り、担っていく人だと私は考えている。

画像引用:Wikipedia