よく「巻き込み力がすごいですね」と言われることがあります。
強く意識していたわけではないですが、そう言われると確かにいろんなプロジェクトを進めるときに、僕は決してひとりだけでは取り組みません。
いや、正確にはひとりだけではとてもできないとも言うことができます。
「巻き込む」って何なのか。
今日はこの「巻き込む」ってことを真剣に考えてみたいと思います。
まず、僕は「巻き込み力」と言われたときに、この言葉はあんまり好きじゃないなぁと感じました。
だって「巻き込む」ってことは、巻き込む人と巻き込まれる人がいて、巻き込む人が台風みたいにどんどん人を巻き込んでいく印象があって、それってなんか横暴で、強引な印象があります。

自分が巻き込まれる側だったらちょっと嫌かもしれない。巻き込む台風の勢力が大きいほどに、各地で大雨・暴風警報が発令されます。(わかりにくい比喩ですみません 笑)
それに「巻き込み事故」って言葉もあるように、巻き込まれる人にとっては、巻き込まれることが事故になってしまう可能性もあります。
多分、ここでいう「事故」は、本当はやりたくないのに巻き込まれたから仕方なくやっていることだったり、自分の意思を無視されて強引に巻き込まれちゃったりすることだと思います。
でも、「巻き込まれない」のもちょっと寂しい
でも、巻き込まれない自分を想像してみると、それはそれでちょっと寂しい感じもします。
「巻き込む人」が、誰かを巻き込むってことは、その人の力を必要と考えているとも言い換えられます。
だから「巻き込まれない」ってことは、あなたの力は必要ないよ、あなたとは一緒にやりたくないよ、のメッセージとも考えられます。それってちょっと寂しいですよね。
「それ自分もやりたかったのに、何で誘ってくれないんだろう」
「あいつは一緒にやってるのに、何で自分には声かけてくれないんだろう」と感じた経験はありませんか?
これも「巻き込まれない」ことへの寂しさです。
そう考えると、もしかすると「巻き込まれない」より「巻き込まれる」の方が良いのかもしれません。
でも、上でも言ったように、「巻き込む」というのは、ときに横暴で強引で、イヤだなぁ、面倒だなぁと感じさせるものになることもあります。
「嬉しい巻き込み」と「イヤな巻き込み」
つまり世の中には、「嬉しい巻き込み」と「イヤな巻き込み」のふたつがあるわけです。
僕が「巻き込み力がすごいですね」と言われるのは、一体どちらの巻き込みなのか考えてみたくなりました。(そして、それは巻き込まれた側に聞いてみるしかないわけですが…)
人は様々な場面において、「巻き込む側」にも「巻き込まれる側」にもなり得ます。お互いに巻き込み合いをしながら、社会がまわっていると言っても良いかもしれません。
僕も「巻き込み力がすごいですね」と言われるけど、巻き込まれることもよくあるわけです。
そして、巻き込まれることにワクワクすることも、なんだか嫌だなぁと思うこともあります。
だから、ワクワクする「嬉しい巻き込み」がたくさん循環する社会になっていけば、きっとみんなにとって気持ち良い社会になっていくはずです。
逆に「イヤな巻き込み」ばかりの社会だったら、お互いを消費し合って、みんなが疲弊してしまいそうです。
「嬉しい巻き込み」ってなにか。
では、「嬉しい巻き込み」って一体どんなものなのでしょうか?
僕の好きな本、影山知明さんの『ゆっくり、いそげ』のなかで、SHIEN学を提唱した舘岡康雄さんの著書『利他性の経済学』をベースに置き、「支援し合う関係性」のことが書かれています。
影山さんによれば、「支援し合う関係性」とは、お互いを利用(テイク)し合うのではなく、ギブ(支援)の動機から始まる交換が行われる関係性のことです。
これを「巻き込み」の言葉で置き換えてみると、「良い巻き込み」とは、巻き込む人がまわりの人にどんどんギブしていく、支援し合う関係とも言えるのではないでしょうか。
例えば、僕は商店街をみんなの遊び場にする「みんなのアソビバ」の活動を行っていて、そのなかで印象に残っているエピソードがあります。

この活動の大部分は、活動に共感してくださるボランティアスタッフによって担われていて、その意味で、これは僕がみんなを巻き込んでいる活動です。
そんな活動ですから、当日手伝いに来てくださった方に感謝の気持ちを伝えたくて、とある方に「お手伝いに来てくれて、ありがとうございました」とお伝えしたのです。
そうしたら「それは違うよ」と言って、こう続けました。
「土肥くん、それは違うよ。僕は手伝いに来てるんじゃないし、ボランティアって感覚はない。僕は自分が好きで、やりたいことやってるだけだから。」
確かに「みんなのアソビバ」は、スタッフが一番楽しむことが理念にあるため、こちらからお願いすることよりも、スタッフが自由に過ごす場として設計されています。
その方も嬉しそうに「こんなブースつくっていいかな?」と提案してくれて、「ぜひ!」とお願いをしていたのでした。
僕はこの言葉を聞いて、なんだか嬉しくなりました。だって僕からお願いして、手伝ってくれていたのに、本人は手伝っている意識ではなく、むしろやりたいからやっているという。
今思えば、これが「支援し合う関係」つまり「良い巻き込み」なのだと考えています。

このように、「巻き込む側」と「巻き込まれる側」の境界線が曖昧になっていくのが理想の「巻き込み」で、「巻き込む」とは、相手を利用することではなく、目の前の人にギブ(支援)することです。
イメージとしては、小さな渦がまずあって、その渦がどんどん連鎖していく感じ。
ネットワーキングの3原則
最後に、「巻き込み」と聞いて、すぐにひらめいた「ネットワーキングの3原則」について紹介したいと思います。
ネットワーキングの3原則は、NPOの草分け的な存在で、民設民営によるNPO支援センター「せんだい・みやぎNPOセンター」を設立されたことで有名な加藤哲夫さんが提唱されたものです。
(1)自分でできることは、自分だけでやらない
(2)他人に迷惑をかけることを恐れない
(3)一人ではとてもできそうもないことをする
加藤哲夫『市民の日本語 NPOの可能性とコミュニケーション』,78,210pp,ひつじ市民新書,ひつじ書房
巻き込み・巻き込まれるのは、「ひとりではとてもできそうもないこと」をみんなと一緒に成し遂げることです。
「嫌な巻き込み」は確かに嫌ですが、「良い巻き込み」がたくさん連鎖して、市民のネットワーキングが広がっていくと嬉しいです。